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不況に打ち克つ12の知恵(No.1)の3つの柱を学び実践、行動へ。松下幸之助 著 No.273

今回の3本の柱

  1. 『人事を尽くして天命を待つ』思えるくらい、1日を精一杯取り組んでみる
  2. 『何のために』自分の仕事を、やっていることを見直して、そのためにやる覚悟をもつ
  3. 『今は大躍進のチャンス』そう思って、できることを10個以上書き出してみる

 

今回のマガスチは

『心がまえ』づくりです。

この本の著者である松下幸之助氏は、あのパナソニックグループの経営者であり、「経営の神様」と呼ばれたかた。なによりも「運」を大事にしていたと聞く。書かれた著書は数えきれないくらいにあり、その内容については「人間性」「人格」ということを重んじたことであること。いわゆる誰もが知っているかもしれないことで、あたりまえだと思っていることも多い。

けれども、それが中々できないのも人間であるんだと。心がまえ、これがその人やその会社の将来を作るとも言われている。不況時には、不況時に対しての心構えがある。

まさに、今コロナショックの真っ只中、せっかくのこの不況の時期、松下幸之助氏の心がまえを知り、学び、実践してみてはいかがだろうか。

 

この(No.1)の内容で抑えておく必要があることは

  • 「百年に一度の不況」と言われる未曾有の危機が世界を襲っている。これからどうなるのか、自分の会社は、そして暮らしは大丈夫かと多くの人が不安に感じている
  • 絶体絶命とも思える危機や困難を、ことごとく『好機』ととらえて、勇猛果敢に乗り越え、その度に会社を大きく飛躍させてきた『経営の神様」と呼ばれた松下幸之助(パナソニックグループ創業者)
  • 具体的にどう考え、どう行動すれば、危機を好機に転換して飛躍に結びつけたか
    1)腹をくくる
    2)志を変えない
    3)策は無限にある
    4)今は大躍進の絶好のチャンス
    5)好況よし、不況さらによし
    6)不況時こそ人材育成の好機
    7)一服して英気を養う
    8)不況は天然現象ではない
    9)責任はわれにあり
    10)己を知る
    11)衆知を集めた全員経営
    12)治に居て乱を忘れず
  • 不況というのは、大暴風雨に直面するようなもの
  • 織田信長の死中に活を求めて成功した例。絶体絶命の境地に自らを追いやり、部下に決死の覚悟をさせた
  • 「人事を尽くして天命を待つ」やれるだけのことをやる、正しいと信じたら誠心誠意やる。人間以上の大きな力が働くこと受け入れそれに素直に従う
  • 「この会社は何のために存在しているのか?経営をどういう目的で?どのようなやり方で?ということに対して、しっかりとした基本の考え方をもつこと
  • 「策は無限にある」不景気であればあるほど、なすべき仕事がある
  • どんな困難なことにも、さらにいい方法があるんだ、という自覚、しんねんに立って「何ごとでもやればできるんだ」ということを強くうったえていく
  • 「今は大躍進の絶好のチャンス」一時は困るけれど、この困る時に、改善すべきものはかいぜんしてしまう。それで立派な健全体にする。そしてさらに大躍進する
  • 心を広くして、発想を180度変えてみる。

松下幸之助知ってます、本を読んだことあります。凄いですよねぇ」

よく聞くけれど、では実際「何を」「どうやって」自分のやっていることに生かしているだろうか。これらの内容は、知識として持っていても何も役に立たないし、この不況を乗り越えることは、小手先では難しいもの。

できれば、12の知恵のうち、1つでも2つでも日々の行動に移せたら、目の前のコロナの状況がまったく別のものに見えるかもしれない。

 

今回の3本柱の経験と実践について

『人事を尽くして天命を待つ』思えるくらい、1日を精一杯取り組んでみる

精一杯?

今日、1日過ごしただろうか?もしかしたらまだ余力残してたのではないだろうか?

若い頃、20代理学療法士として、スポーツトレーナーとして、リハビリ室の長として、非常勤講師としてさまざまなことに取り組んできた。

1日の終わり、もうこれ以上やれない、それくらいやっていた日々。毎日患者さんに追われ、スタッフの指導に追われ、休日や夜間や早朝はスポーツ選手の対応に追われていた。そんな日々だったから、人事を尽くしたか?と尋ねられたら、やれるだけのことは精一杯やった、これ以上は今はできない、そう答えたし、そう思っていた。

でも、周りの同期の理学療法士らは、いろんなセミナーに参加したとか、勉強会で学んだとか、しょっちゅう集まって飲み会をしているなどなど、いろんな声を聞く中で、正直「自分はなんで?そんな会に参加できないくらいやってんだろう?」そう思ってた。

でも、あれから29年経ってみて、もし他の理学療法士さんらと同じように、病院の中で与えられた仕事だけをこなして、給料をもらって、それなりに生活していたとしたら、今の状況は得ることはできなかったんだと思う。

20代のころ「ここまでやってるのに」そう思いながらも、何年も状況が変わることがなく、ウンザリすることもあったけれど、スタッフらが耐えられず次々に辞めていくのをみて、自分もそのあとを追いたくなることもあった。先が見えずに、どうなるんだろうか?何とかなるんだろうか?なんて思うこともあったけれど、でもそれでもやり続けた結果、4年ほど経った頃から、給料も上がり、いろんな人や病院から頼られるようになり、人が増えて、充実していった。「6年」経ってみると、始めた頃と比較すると、雲泥の差。給料も3倍、人も3倍に増えて、でもすべきことも増えていった。

そんな中で、次の病院へ移ることになり、またゼロからのスタートだったけれど、まったく先が見えない状況からのスタートだったけれど、また同じように作っていける、そう信じてやることができた。

毎朝、6時のフェリーに乗り、知らない土地へ行き、知らない人たちのリハビリからのスタートだったけれど、あっという間に患者さんが増えて、病院の収益も上がり、スタッフも集まってきた。

ノウハウがあるのではなく、とにかく自分自身が「人事を尽くした」と思えるくらいにやれば、道が開ていく、今でもそう思えるし、そうやっていること。あとは、「待つしかない」ということを学ばせてもらった気がする。

目の前の仕事、どれだけやっただろうか?もっとやれたのでは?もっとやれるのでは?やれることあるのでは?

もう一件、連絡する人増やしてみては?人と会う前に準備するもの増やしてみては?もう少し、話す内容工夫してみては?そのために相手のことをもっと知る努力してみては?などなど、できることってたくさんあるよね。

 

②『何のために』自分の仕事を、やっていることを見直して、そのためにやる覚悟をもつ

なかなか、今やっている仕事でも、過去やってきた仕事でも、そこまで考えたことってなかったかもしれない。でも、それが当たり前だと思うし、そんな「何のためにやるのか?」なんて人から聞かれることもなければ、そんなことを学校でも教わることもなかった気がする。

トラックの運転手の時は、毎日の生活のため、給料をもらうために乗ってる、そう思ってやっていた。もっと給料が欲しいなら、もっと積みに積んで、もっと早く走ってれば、増えていく。それくらいの考えでやってた。

24歳で理学療法士になり、給料はトラックの運転手時代よりも安かったけれど、目の前の仕事にやり甲斐は感じていた。それは、モノと違い、触るのはヒトであり、障害者や手術後歩けなくなったヒトらだったから。自分のリハビリ次第で、その人のその後の経過が大きく変わる。痛みをとってやることもできるし、楽にさせてやることもできる。

そのヒトらが、元気になると退院していき職場や自宅に復帰していく、そうなっていくのが、いつしか自分自身も嬉しくなったりもしていった。その数が増えていけばいくほど、なぜだろうか?大変なのにやり甲斐が大きくなっていった。

もちろん、給料や生活のために、そう思うこともあったんだと思うけれど、それだけだったら、キッと早々と最初に勤務した病院やめて、次の病院を探して移っていたかもしれない。

でも、そこにはスポーツトレーナーとして現場に足を運んで信用してきてくれている選手たちがいた。自分を頼ってきてくれているヒトらがたくさんいたこと、その人らを、その人たちが困っていることを改善していくことに燃えていったんだと思う。

そのために、理学療法を勉強し、トレーナーとしてテーピングを学んで身につけていったりもした。

そうする中で、自分自身の給料も上がっていき、普通なら届かない年収1,000万円というものを手にすることができ、自分と同じような道を目指したいという子らがどんどん増えていき、そんな子らが同じような道を歩めるようにと、次はそれが仕事をする理由になっていった。

スポーツ現場では、教員チームを始め、いろんなチームを見ていたけれど、それらのチームが九州を勝って、全国へ、それもまた自分の「何のため」の大きな理由の一つになっていった。

今の会社を作った理由もまったく同じ、何も変わらない。それが自分の「何のためにこの会社があるのか?」の意味。

でも、それらをもとに作り上げて、もちろん自分自身や夫婦の夢を叶えていく、家族の夢を叶えていくこと、それも大事な理由。

もしかしたら、給料をもらうために?それをやってる?収入を増やすために?家族を養うために?そんな考え方だったら、なかなか給料も増えていかないし、頑張れなくなる。

その営業は何のために?その作業は何のために?やってるのか?書き出してみると出てくるよ、自分の「何のために」が。

 

③『今は大躍進のチャンス』そう思って、できることを10個以上書き出してみる

コロナもちろん感染が広がり、学校が休校になった3月。「最悪」と思った。トレーナーの現場の仕事がなくなる。整骨院にも学生さんくるだろうか。外出自粛という中で、どうやってこれまでの売り上げを作っていけばいいだろうか。

そうしているうちに、空港の搭乗者数がみるみる減っていく。あっという間に、空港の各店舗も休止を決めて、連休前には弊社の店舗も休止をよぎなくされた。

でも、だからこそチャンス、周りが取り組んでいないことをやれば、それは新たな取り組みが形になることになり、新たな収益の柱ができる、本気でそう思ってこの数ヶ月やってきた。

いま、まさにオンライン化してきた世の中。それは、昨年から取り組んできた「オンラインサロン(仁サロン)」の可能性がさらに広がることを意味してた。実際には、数年前から構想はあり、それに向けて昨年から具体的に資金を投じてスタートさせていた。だから、コロナが起こり、オンライン化の方向に急速に進んだ時に、最悪ではなく「ラッキー」「チャンス」と思ったのもあたりまえ。

2002年、自分にとっては、理学療法士にとっては、診療報酬34%減、突然ある日厚労省からきた通知で、コロナ以上にショックを受けたのを今でも鮮明に覚えてる。

同じように頑張ろうとしても、それだけの大幅な減額が決まってる。どうしていいか?わからない。

今まさに、コロナが発生して、いろんな飲食店、休業を余儀なくされている店舗や事業の方々は、おんなじ思いなんだと思う。

また、2002年、そのまま病院いることも許されず、スポーツ選手を見れなくなる危機感が生まれ、その年に病院を飛び出し、この会社を立ち上げた。それはコロナ以上の猛威を奮って、自分自身を叩きにやってきた。

理学療法士が会社を作る?何ごとだ?医師会やその他いろんなところから叩かれた。自分が描いていた計画すべてに影響があったし、風評被害?それ以上にいろんな噂が県内外に広まった。

でも、自分自身は、自分が作ったビジョンや理念、そして事業計画を進めること、そこに集中できたこと。誰もやっていないんだから、今がチャンスとさえ思ったし、思い込むように、ここに書かれていることなどを自分に言い聞かせていた。

正直、辛すぎるくらい辛かったし、ついこの前まで講師として理学療法士協会に呼ばれていたのに、なんてことをしてくれたんだと掌返して。そんなことだらけ。

でも、あの時に描いたこと、整骨院、デイサービス、リラクゼーションその他いろんなことを先駆けてやることになって、未だに続いてる。

起こることは、誰しも変わらないけれど、ピンチと思うかチャンスと思うか、その心構え次第で、乗り越えられる壁や障害も変わってくるもの。

今やっていること、違う取り組みはできないだろうか。もしかしたら、違うシステムを作れば、サービスは同じでも得られるものは大きく変わるかもしれない。今やっていること、ちがう収益の得る方法を考えてみては、ちがう営業の方法を考えてみては、いくらでも方法は見つかるから。

 

具体的な行動を生み出す問いかけで、行動を決めていく
なぜ不況に打ち克つ12の知恵(No.1)の3本の柱を実践!が大事なのか?

 

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