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常に、結果から「逆算」してきた15年

今朝は、落ち着いた朝
週1回ある、この時間で色々と帳尻合わせていく

コロナ以降
何かとバタバタとあり
一つひとつ取り組んだり、捨てたり
決断したり
新たに取り組み始めたり

そんなときに、いつもやることは

1つの結果

これを決めて、その結果から考えるということ
アレもコレもとやっていく中で
やるべきこと、増えていくと
自然と

やらないでいいこと
やるべきではないこと

コレも同時に増えていき
その結果を見失ってしまうもの

20代は、年収やマイホーム、家庭の結果を追い求めて
30代は、リハビリ室や会社の結果を求めて
40代は、新たな取り組みの結果を求めて
50代は、その延長で

その結果(ゴール)から

逆算

して考えること
コレが、当たり前過ぎるくらいに当たり前になってるから
そうではないこと
それがないこと
それができないってこと、考えたこともなかった気もする

そういうもの

そう思ってきたけど
実は、そこに大きなストレスがかかってしまうこと

考える

ってことが、大きなストレスなんだと
最近、改めて気づいた

自分の場合、まずはblogを書きながら
考えていることを整理したり
起こっていることを整理したり
すべきこと
目指すものを整理していく

そんな中で、2005年1月1日のblog
blog初めて20日ほど経った頃書いたもの

2005年1月1日元旦の誓い

この日、朝早く事務所に行きエアロバイクこぎながら
コレからのこと考えてた
バスケットのオールジャパン出場がなく、鹿児島で久しぶりに過ごした正月

どうしていけば?
何をすれば?
どうしたいのか?

そこで出てきたマッサージサロン
どうしたら出店できるんだろうか?
どこに出したら?
どんな店舗に?
人は?

そこから、飛び込みで空港へと足を運んでた
突然きた自分に当時の役員だったHさんやのちに担当となったYさん
対応して話を聞いてくれた

2005年2月1日空港初面談

その1週間後くらいに決済が降りたけど
最初見た場所は

倉庫

ここで?
でも、このチャンスをなんとかものにしたい


その3ヶ月後にはプレオープンからオープンへと
あっという間だった
そのころは、まだ自分しかスポーツトレーナーもおらず
こんなことをしながら



当時、まだ20代だったみんなが
今では40代になり教員に
そして、息子らもこんなだったのに…

延生大学vsレッドシャークス

アレから15年
4月以降、ほとんど売り上げもなく
4月末からは営業休止し、あっという間に6ヶ月

再開

目指していたけれど断念
店舗としての営業はできるかもしれないけれど
果たして
ベッドを4台→2台へ
スタッフの配置
県外者との接触
換気などなど
他部門への影響含めて考えると
そうせざる得なかったこと

たとえ、再開したとしても
リスク管理は十分にできないこと

そもそも
空港に出店しよう、リラクゼーションをやろう
そのキッカケは
国家資格がない人間を、どう導くことができるか?
ただ研修をしながらではなく
会社として成り立たせながら
その役割も、今は必要なくなってきたこともあったんだと思うし
何より

ひとつの役割を終えたこと

空港ビルディングさんも
最後まで、残ってもらえたら…そんなありがたい言葉いただいた
家賃も再開するまでは…
是非、準備整ったら再開を

でも、その決断は変わることなく
でも、しっかりと対応してくれ
色々と配慮いただいた

国体のボランティア活動が、この空港出店につながり
ずっと15年継続してこれたこと
航空ビジネスの今後
考えると、どうしても厳しいだろうし

方向転換

それを、この数年でやってきたこと
それに合わせ今回は

昨日は、その最後の面談や現場での実地検分
最後まで、本当に
特例や例外を認めていただき
配慮してもらいやってこれたこと

空港を出店するまでを
ヒューマン九州の番組にまでしてもらった
当時KTSのGさんらスタッフ


こんな自宅での何気ない記録まで
コレも財産の一つ

また、12年後
大きく変わっているんだと思うし
自分も

66歳

まだまだ頑張ってるだろうか
まだ、こうしてblog書いてるだろうか

さて
しっかりと見直しつつ
前に進めていこう

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