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1991年のひと言…ここから始まった

あっという間に1週間
でも、今週もいろんな収穫もあったり再会あったり
何よりも

自分が、今こうしていること
自分が、今こうなったこと

それを振り返るいい機会でも

自分には、いつもバスケットがあった
20歳の時に、一度はバスケットに対する夢が絶たれ
走ることさえできなくなり
それは、いまだに変わらないけれど

スポーツトレーナーやらないかっ

高校の恩師鮫島先生からの一言で始まった

1991年、そこには鹿児島実業サッカー部に
前園選手や城選手らがいたその場に
1992年には、山形国体で天皇陛下への発砲事件があったあの大会
鹿児島成年男子バスケットが、初めて1回戦突破した
新聞記事にまで載せてもらい
こりゃ頑張らねば…そう思った
あれから

28年

長かったような短かったような
いつもそこにはバスケットがあった

教員チームが、レッドシャークスになり
ずっと、トレーナーとして
どこへでも付いて行った

恩師と取り組んできたことが
ようやく一つの形になったのは
2001年だっただろうか?長かったけれど
九州のチャンピオンにまで

沖縄でのこの大会
これが、その後の自分の人生を決定づけた瞬間でもあったこと
彼らのために
本気でそう思えたこと

その後、会社作ってからも変わらず

できる限りのことを

そんな中で、恩師と2006年
成年女子バスケットの監督&コーチで岡山国体に

間違いなく
この2人が、自分の人生に、バスケットに大きな影響を与えてくれた
一昨日、レブナイズのプレゼンを恩師がしているのを見て
改めて
この人のおかげでもあったこと感じた


この人の一言がなければ
キッと病院で理学療法士としてやっていたと思う
その後も
中学校のコーチをさせてもらったり

プロバスケの立ち上げに携わったりと
いろんなことあったけれど

やっぱり恩返ししたいもの

昨日は、午後からレブナイズの取締役のYくんがきて
いろいろと
大変な思いしていると思うし
どうにもならない歯痒さの中で戦っているんだと思う

やっぱり
バスケットがあってこそ
得られたもの
それがあるなら、それを返すこと
その必要性を強く感じた

その足でエレベーターに乗り
ふと整骨院をみると
今度は、中学の恩師吉川先生が治療後に座っていたので
階段上がり、いろいろと

この人のおかげで
人生の基礎を、土台を、バスケットで
築かせてもらえたこと
今でも自分自身への教訓にしているもの

迷った時、いつもこれを見て

まだまだ
スピード足らないぞ

そう自分自身に言い聞かせることができるのも
この恩師のおかげ

それらの取り組みと自分がやっている取り組み
この28年の間にいろいろと状況は変わったけれど
やっぱり

このため

だったんだと思えた1日に

そんなこんなで
今朝も3時には目が覚めアレコレと
7時過ぎにはP社のMくん登場でまたアレコレと

でも、いろんなことが
いろんな種が
いろんな芽を出しつつあること
その

をならすために

しかし、日々日替わりでいろいろとあるので
頭の切り替えが難しくなってきたかなぁ(汗)
でも、今朝も合間で
マガジンスチールの原稿を仕上げを

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