No.1,349 隼人早朝セミナー完了!
マンダラシート出してみて?
何千回?やってきただろうか?(汗)
マンダラシート
これを開かない日は…365日
1日もない
朝、起きて4時半くらいから必ずこのシートを眺める
もう10年以上続いている
習慣
毎日、なにかが引っかかるもので、気づくことがある
あっ
ってものもあるし
忘れていたこともある
昨日の振り返りをするとき
16時くらいってなにしてたっけ?思い返して出てこないことさえある
それくらい
人の記憶
ってものあてにならないもの
ましてや
人生のゴール
自分が目指すべきこと
自分が望んでいるもの
日々、いろんなことがあるうちに
そこに描いたもの
忘れてしまうって、あたりまえのこと
ゴール忘れて
そのゴールへたどり着けるだろうか?
1日のゴール
そこへたどり着くために必死にやってた時期があった
20代
とにかく患者さんのリハビリを終わらせ
日付変わらないうちに帰りご飯食べること
これが1つの目標になってた時期があったけど
ゴール
明確だから、大変だったけれど、それはそれで充実してた
30代も22時のフェリーで自宅へ帰るとか、23時のフェリーでとか
ゴールは自宅
目標は何時って感じで
会社作ってからも
いつもゴールがあった
自分にとって、スリリングなゴールが
会社立ち上げて、たった半年で3回ほどあった(汗)
最初の融資をうけるとき
いきなり病院をやめたので、準備もなく急ぎ事業計画書を作成し
何度も見直してもらい
ようやくOKもらって手続きに回したけれど
月末までに融資降りないと?
年を越せない(恐)
それくらいお金がなかったとき
自分は東京にバスケットのオールジャパンにいくことに
気になってしょうがなかったけれど
ギリギリ実行されたと連絡あり、なんとか正月を(笑)
そして、2ヶ月ご
3,000万円ほどのリースが通らないという事態に(汗)
これまたアウト
でも、あきらめずに何社か回ることで
ギリギリセーフ
整骨院の前身を立ち上げることができた
と同時に
4名の理学療法士がやってくる
仕事なかったら?給料払えない(恐)
契約を取り付ける期限は、たったの3ヶ月
間に合って初任給を払うことができた
いつもギリギリのゴールが先決められて
そこに向けて
どうしたらいい?
そんな毎日で、20数年
そんな中でやり続けてきた
それは、いまでもさほど変わらないけれど
そんな状況でも腐らずにやれてきたこと
何が
そうさせてくれたんだろうか?振り返るとそこにあるのは
事業計画書や資金計画書はもちろんのこと
それだけでなく
マンダラシートや夢のリスト
そして、それらをまとめた
手帳
これがあったこと
そのおかげで、数えきれないくらいのゴールに
たどり着いてくることができた
描いたはいいけれど
お正月の「今年こそはっ」って達成できない目標を掲げて終わるのでなく
日々の目標やゴールから
1年、数年の目標やゴール幾度となく達成してこれた
これが、自分自身の一番の財産になっているような気がする
でも、誰でも
やろう
と思ったらできることを
ただ、誰もがやらなくなる中でやり続けてきただけのこと
もしかしたら
一番簡単な方法を選んでやってきた
そんな気もする
やり続ければ、必ず形になる
そりゃそうだし、当たり前のこと
途中でやめれば、形にならない
それも当たり前のこと
そのやり続けてきたこと
それをオンラインサロンで提供しているだけ
たくさんのコンテンツあるように見えるけれど
目的はたったひとつ
Human Care Dream(ヒューマン・ケア・ドリーム」
これだけ
人をケアして夢見て実現してもらい
自らの夢も叶えてしまおう
ケア
この方法は、時代と共に変わってきただけで
身体だけでなく、メンタルも意識も
そして、その先の生きかたや働きかたまで
すべて含めてのもの
さいわい、20代、30代、40代、50代と生きてきた
ずっと働いてきた
その中で、人と関わり
自分の立ち位置も変え続けてくることができた
そのプロセスには
7つの習慣
これが、真ん中にあったこと
それがあったおかげで、こうして依存することなくやってこれた
その核になるものが
リーダーシップとエンパワーメント
それらの素になるものが
マンダラシートや手帳
これが、どの程度明確になっているのか?
それ次第で
状況が変わるもの
進む道さえ変わるもの
だからこそ
描いて欲しいし、持ち歩いて毎日見て欲しい
今日も伝えながら
きっと、明日も誰かに伝えながら
日曜も
そうそう、日曜はCYCLEzeroライド
今回は、ちょっと思考を変えて
距離は短いけれど久保ちゃんプロデュースのコース
今回は、普段いっしょに走れなかったメンバーさんら主体で
と、ここまで書いて
デイスタッフSくんと今まで色々と話が長引いて
申し訳なかったなぁ〜と反省しつつ
でも、夢や望むものを形にすること
それを具現化するために必要なことを話つつ
考えたら、20代のころ
ボランティアで高齢者の自宅を周りながら
福祉用具や住宅改修に興味をもち、業者さんらと付き合いながら
在宅現場にしょっちゅう足を運んでた
病院では、8割は高齢者
スポーツ選手2割って感じだっただろうか
そんな中で
次の病院に行っても、内之浦や岸良という山を越えてボランティアで自宅を周ってた
介護
その視点からも、リハビリやその方々の 自立というもの
真剣に考えていた時期も
訪問リハビリも患者さんが多くて、昼休みにしか行けずに
自転車で、かごに聴診器と血圧計を入れて走り回ったりもした
あのときの
情熱
どこからきたんだろう?
それを振り返るいい機会になった
僕がやりたいデイサービス
それっ書いてきていいっすか?
もちろん
自分が作りたい会社を作った
作りたい整骨院その他作ってきた
こうあるべきだ
こうあってほしい
こうできたら
それを形にしてきた
あの頃の自分
36歳
まさに、その年代
形にしていってやりたいもの
あっという間の3時間
もうひと晩飲み会した気分に(汗)
今日も一日やり切った
これ以上はできない一日に